遂に退院日の朝が来た。
窓の外は曇りだ。
退院日する前は早く退院して窮屈な入院生活から解放されたいなーと思っていたが、帰るのもちょっと憂鬱になってきた。
2日位前から身体が怠い。
そして、社会生活をして、生産行動をしてお金をを稼ぎ、生活を維持しなければいけない。
加えて、今はまだ有給休暇が取れない身なので、入院中や退院してからの家での療養中も欠勤扱いで給料は出ない。
憂鬱だ。
ダブルワークしていたが、本職がままならないのに、そちらは復帰となるわけにもいかないし、そもそも副業の方か体力も使う。
ダブルパンチだ。
でも、東北の方々は震災後の復興途中に災害や火災で何度も被害に遭われている方がいる。
どんなに心折られただろう。
その時の希望って何だろう?
ダメだ。被災地に行ったこともなければ、被災地の方々と話をしたこともない。
その地にとってのとってもリアルな希望は私には分からない。
うーん。もう一度・・・私に置き換えてみよう。
経済的に辛い。なぜ辛い?
出来ることが限られる。
引け目がある。お金がなく、場合によっては借金してしまうことになるから。
要は「やりたいことが制限される」からの辛いのであろう。
では、ここに私より稼いでいる人が居る。でも、その人の希望は海外旅行へ四季ごとに行くことであったら、ちょっと厳しいだろう。
よく、原住民族が幸せそうに皆んな笑顔で生活している光景がテレビで子供の頃見た。
そして、今では知恵がついて村の外との貿易も行うようになってくる。
すると、どうだろう、少し、しかめっ面の人が出てくるのだ。
なにかイライラしているような。
今までとは違う環境に入り、そこで生きていくことを選択すると、生き方は多様になる。けれど、新たな懸念事項も出てくる。
単純ではない世界。けれど、自由な世界。健全な世界。
健全な世界?
ここで、私は昔のことを思い出す。
私は小学生まで上記のように世界のことをウダウダと考えていた。
しかし、中学生になると、皆んな何かしらの「部活」に入るのが恒例となっていた。
私も周りに従い、運動部へ入ったのだ。
入ると、小学生の時までとは違い、本格的にそのスポーツをやる。
とにかく強くなるために!だ。
なので、シゴキのようなものもあり、冬には走りに特化したシゴキ、夏には飲水制限に特化したシゴキがあった。
キツい。とにかくキツい。ある時などはフラフラになりながら帰宅したことがある。
しかし、何故か心は荒んではいなかった。何より、「生きている」という実感があった。
何故だったのだろう?
まぁ、あの時は中学生だったから経済的な心配はまだ気にする配慮もなかったから関係無さそうだ。
部活で身体を酷使する時、とにかくキツい。今この時がキツい。のだ。帰ってからの事とか、他の宿題の事とか、テレビなら事とか考える余裕がなかった。
兎に角(この字好きです)、今に集中するしかなかった。
ここからは、ちょっと陳腐になってしまうのであるが、良く仏教でいう「今、ここ。」精神というのは大事なのだな。と思う。
これは、正直、今回初めて思うわけではなく、時々思う。
オリンピックやスポーツで感動するのはここに通ずると思う。そして、プラスしていうと、「LIVE感。」これが重要だと思う。
しかし、一方でこのように自分を分析している心というのはあんまり幸福感を得られない。
今日はここまでにしようと思う。
ちなみに、LIVE感でいうと、今日の朝食のマッシュポテトに枝豆が入ったサラダは美味しかった。
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