「何となーくずっと気持ち悪い」これが昨日まではあった。
プラスして感情がベールに覆われたように、感動が減ったような、冷めたような気持ち、白けたような気分が続いていた。
よって、何を見ても「ふーん」というような気分。
感情の起伏が少なくなっていた。
フラットである。
なってみると分かるが、
フラットな気分というのは、
自分でコントロールしてフラットにしているのではないこのフラットという状態は・・・、
感動が無い。
よく、ヒーロー者の脇役ヒーローで冷静な奴が1人はいるが、あいつらは本当の意味でのフラットではない。
なってみると分かる。本当にフラットになってしまうと、ヒーローであることに興味が失せる。そもそも悪とか善とか少しどーでも良くなってくる。
恐ろしい。
虚無主義やニヒリストも似たような感覚なのかもしれない。
笑っている人を見ても、
何やろー。何に笑っているのかなー。
みたいな感覚になる。
そして、今日。
少しだけ感情に熱が入って来た。
昨日より、もうちょい生きている感覚がする。
昨日より、生きることに前向きな感覚がする。
ありがたいことだ。
うつ病の抑うつ状態というのは、これよりもっと酷いのだろう。
どんな気分がベースにあるのだろう?
もっともっと深淵なのだろうか?
私は、絵を描いて欲しいと思う。
絵であれば、感覚や世界との距離感、世界の捉え方、見え方が少しは共感出来るのではないだろうか?
そんなフラットな気分がベースにあった昨日、病院に家族に送ってもらう予定だったのだが、所用が重なってしまい、やむなく徒歩で向かうことになった。
徒歩といっても、そんな気分であったから、ひたすら目は据わった状態で、浮浪者のように前傾姿勢でちょぼちょぼ歩いていた。
歩いていると、フラットな気分であるにも関わらず、どーでも良いことに注意が向く。
例えば、車道から歩道へ移る際、鉄板のカバーがやたらしてあることに目がつく。それだけ、車道沿いの家々に車が出入りしているのであろうが、勾配が結構急である。自転車で中途半端に乗り上げるとすっ転ぶ勾配だなー。とか。
そのカバーも金属製のものはどっちかというと凹面なのに、強化プラスチック製のものは凸面なのが目に付いたりしてしまうのである。
最も気になったのは、店の看板である。
立て看板で文字が上から書いてあったのだが、下の方は微妙に草が生い茂っている。この文字は続きがあって草で見えなくなっているのか、それとも文字はここから見える部分で終わっているのか?1度気になると、哀しいかな気になる。
横から見た。文字はなかった。
歩くことはLIVE感覚であるというとが分かった。路面に対して歩かなければいけないから、否応なく対応しようとする。その時はまさにLIVE感覚だ。
そして、このLIVE感覚はちょっとだけ心を揺さぶるのに効くということに、今日ちょっと気付いた。
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