強迫観念

突然だが、私はイベント事が好きだ

しかし、何か大事なことを始めるきっかけになる行為をしなければならない時は苦手だ。

なぜなら、その行為により新しい事が始まるということは、その行為そのものが大事なスタートに当たるということだ。

そんな大切なスタートの行為に伴う「感情」や「思考」をキチンとさせたいと切に想う。

「キチンとさせたい」というのは「汚れのない気持ち」ということだ。

それにより、例えば新しい事を始めるためにボタンを押す瞬間、封書をポストに投函しようとして封書をポストに入れ、手を離す瞬間など、あと一手でその行為が完了する瞬間の心のありようである。

しかし、「感情」や「思考」はコントロール出来ない。

失敗が怖い。

失敗した後の取り返しのつかなさ、その「感情」、「思考」に至ってしまった自分への罪悪感。

これらが押し寄せてきて、陰鬱になってしまう。

「戻れないのだ」「戻れないのだ」「なぜあの瞬間、あの大事な瞬間に限ってあの感情や思考になってしまったのか?」「そういう運命なのか」

等々、いろいろと考えてしまう。

解消するにはどうしたら良いか。

これまで何度も考えてきた。

しかし、罪悪感は出来事毎に覚えていて、本を購入するために取った瞬間の行為中の感情がうまく伴わず、その本は未だに開けないでいる。

今日も大事な出来事が待っている。

その時の、その瞬間の自分の「感情」、「思考」が伴わなかった事の状況を考えると、陰鬱になる。焦燥感に駆られる。疲弊する。絶望感に襲われる。

黒いものに流されていく感覚に至る。

このような気分に至る事が多い。

一方で、私は暗くて佇んでいるものに惹かれる。

しかし、よくよく観ると、それらは暗くて負の感情を放ったり、訴えたり、周りを呪っているわけでは無い。

やはり、ただ佇んでいる。という感が強い。

肯定も否定もしない。

ただ佇んでいる。

その状態が心地良いのかも知れない。

そして、陰鬱な気分に襲われることが多いが、

私もそのような存在になって、時々は猫バスのようにニヤリと笑って人を助けたい。


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